これまでの活動
講演会「当事者のライフステージにあった生活・就労・住まい」(大阪)
高次脳機能障害の人たちの生活や就労をテーマにした講演会「当事者のライフステージにあった生活・就労・住まい」が10月3日(土)に、大阪市西区の大阪YMCA会館で開催され、164人が参加しました。東京で9月5日に開催した同テーマの講演会の大阪会場版です(東京の講演会のレポートは、こちらをご覧下さい)。
まず高次脳機能障害に関する基礎的な講演を、東京慈恵会医科大学附属第三病院・リハビリテーション科診療部長の渡邉修さんが行いました。渡邉さんは冒頭、人間の頭の模型をカバンから取り出し、脳のどの部分を損傷すると、どのような機能障害が起きるのかといったことを説明しました。
続いて、国立研究開発法人国立成育医療研究センターリハビリテーション科医長の橋本圭司さんと、高次脳機能障害の当事者である登俊(のぼり・すぐる)さんの対談が行われました。
登さんは現在35歳。26歳の時に、自転車で道を横断中に時速100キロで突っ込んできた車にはねられて、意識不明の重体に。集中治療室に2週間入り、3カ月後に退院はしたものの、高次脳機能障害の症状が出て挙動がおかしくなり、それまで勤めていた美容室を辞めざるをえなくなりました。
以後、土木作業やレンタルショップなどでバイトをしたものの長続きがせず、遊びに行った派出所で暴れたりしたため、精神病院にも2回入院させられ、拘束衣で体を縛られたりといったことも経験しました。
2012年からは大阪府豊中市にある高次脳機能障害のある人たちが集う「らしんばんの家」に入居。現在はカット専門の美容室で週4日、働けるほどに回復しました。会場で登さんの生活を追った関西テレビのニュース番組も放映されました。「らしんばんの家」で仲間と暮らすうちに、最初はこわばり固まったままのようだった登さんの表情が徐々に和らぎ笑顔も生まれてくるなど、登さんの様子の変化が大変に印象的な番組でした。講演会の後に書いてもらったアンケートでも「登さんの回復ぶりに、希望が持てました」といった意見が多く寄せられました。
後半は、橋本さんと、登さんが暮らしている「らしんばんの家」の施設長・山河正裕さん、大阪府豊中市のコミュニティソーシャルワーカー勝部麗子さんの3人による鼎談が行われました。
勝部さんは、昨年4月に深田恭子さんの主演でドラマ化がされた「サイレント・プア」のモデルとなった人物で、同番組の監修も務めました。
「らしんばんの家」の山河さんは、98年に職員2人、利用者7人という態勢で、中途障害者を集めた無認可作業所として工房「羅針盤」をスタート。2002年には利用者が30人に増えて社会福祉法人が認可。2011年には第二工房も設立しました。2012年にグループホーム「らしんばんの家」を建て、今は高次脳機能障害を中心にして障害のある人たち約150人が集う団体となりました。もう二度と道に迷いたくないという思いを込めて『羅針盤』と名付けたという山河さんは、「障害を受け入れるのは家族やご本人というよりも、社会全体で受け入れることのほうが先ではないか」と述べました。
コミュニティソーシャルワーカーの勝部さんは、ひとり暮らしの引きこもりの人やゴミ屋敷といった、制度のはざまに落ち込んでいる人たちに手をさしのべてきた数々の事例を紹介。高次脳障害については、本人が言葉を発しないので、自分たちが言っていることが本人に伝わっているかどうかが不安という家族の支援の例を紹介しました。
勝部さんがその男性宅に家庭訪問に行ったところ、元気な時は4番でピッチャーをしていたという事が分かりました。試しに男性にグローブを持たせてボールを投げるマネをしてみたところ、男性はとっさにボールを受け止めるポーズをしました。男性が的確に反応したことで、こちらの言っている事などが分かっている、ということが家族にも理解できました。
勝部さんはさらにこの男性を「マウンドに立たせてみたい」と思い、高次脳機能障害の人たちを集めた野球チームを結成。発達障害などで引きこもっている子どもたちを相手のチームとして、実際に野球大会を開くことができました。このエピソードは「サイレント・プア」でもドラマ化されました。
勝部さんは、福祉の分野で起こる多様な狭間の問題を地域ごとに解決していくためには「住民まかせにしないし、行政任せにもしない。地域の人たちと一緒に解決していく事が大事。知る事によって、やさしさは生まれる。そのことを実感する人が増えていくことで世の中が変わっていく、ということを信じたい」と訴えました。