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朝日新聞厚生文化事業団トップページ 最新のお知らせ 連載インタビュー 「保育の質」を考える~子どもにとって、より良い保育のために~ 第3回:永倉みゆきさん(前編)

最新のお知らせ

連載インタビュー
「保育の質」を考える~子どもにとって、より良い保育のために~
第3回:永倉みゆきさん(前編)

文:勝見文子 編集協力:河井健

永倉 みゆき (ながくら みゆき)さん
静岡県立大学短期大学部こども学科教授、同短期大学部部長

1958年生まれ。静岡市内の小学校や幼稚園で勤務後、2004年、常葉学園短期大学専任講師に就任。同短大准教授を経て、14年に県立大学短期大学部社会福祉学科教授に。16年よりこども学科教授となり22年から学部長。家政学士、教育学修士。保育者の研修会の講師をはじめ「静岡市子ども読書活動推進会議委員」「静岡県就学前教育推進協議委員」「静岡県社会福祉審議会児童福祉分科会子ども子育て支援部会委員」「ふじさんっこ応援大賞審査委員長」「“ふじのくに“士民協働 施策レビュー専門委員」「保育所移管先選定委員会」等、行政の子どもに関する委員会に多数関わっている。

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目次

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1. 静岡県牧之原市の認定こども園における送迎バスでの置き去り事件

静岡県牧之原市の認定こども園で2022年9月、3歳女児が送迎バスに取り残されて死亡した事件がありました。当時の園長(理事長)の運転する送迎バスで登園してきた女児が、降車を確認されることなくそのまま車内に約5時間閉じ込められ、熱中症で亡くなったという事件でした。事件を振り返ったうえで、どのような問題があったとお考えでしょうか?

牧之原市は事件後、再発防止に向けて検証委員会を立ち上げました。私は2023年2月から委員長を務めています。検討はまだ続いており、立場上、明らかにできないこともあります。ですので今回は、委員長ではなく専門家個人としてお話することを最初にお断りさせていただきます。

いろいろな問題点が重なって、事件は起きたと捉えています。そのうちの一つが「バスによる送迎」の位置づけがはっきりしていなかったことでした。園には「保育が必要なのは、子どもが門に入ってから」という認識があったようです。事件当日、本来の運転手が休みのため、急遽男性園長がハンドルを握りました。同乗したのは70代の女性職員です。女性は園が市シルバー人材センターに依頼した派遣職員でした。近年、保育の現場に、さまざまな地域の人が関わるようになってきました。なかには保育の資格を持たない人もいます。後編で説明しますが、そのこと自体は決して悪いことではありません。

ただ、「バスによる送迎」についてはどうでしょう。事件を踏まえ、子どもを中心に考えれば、送迎時間も「保育」と位置づけ、有資格者がしっかり関わるべきでした。静岡県は事件翌月、再発防止に向けた「静岡県教育・保育施設におけるこどもの車両送迎に係る安全管理指針」を策定しています。園長や運転手、同乗者らの役割を定めたものです。指針では施設に対し、「こどもが保護者の手から離れバスに乗車し、保護者のもとに帰るまでの時間を幼児教育・保育の時間と認識」するよう求めています。「どこからが保育か」の基準はあいまいでした。保育界全体が気づかなかったと言ってもいいかもしれません。今回の事件はそこに潜む問題点を浮き彫りにしました。

また、安全管理や危機対応について、職員への周知が不十分だったことも問題として挙げられます。こども園は保育と教育を一体的に行う施設です。保育所でもあり、学校でもある。このため、園には学校保健安全法の規定が準用され、学校安全計画と危機管理マニュアルの作成が義務付けられています。しかしこの園では、計画やマニュアルは職員に周知されておらず、活かされることがありませんでした。

今回の事件を題材に、大学で学生たちに問題点を考えてもらう授業をしました。ある学生から「バスには園児が6人乗っていた。なぜほかの子どもたちは置き去りに気づかなかったのだろう。気づけるような関係がつくられていなかったのかな」という疑問が出ました。 もちろん、大人が気づかなかったことが一番の問題です。ただ、園が、例えバスの中であれそうした関係性を築けるような保育をしていなかったとしたら、それもまた問題だと思います。

2. 牧之原市の事件における「安全管理体制」の問題

園側は「乗降車時の人数確認」「複数人での車内点検」「最終的な出欠情報の確認」「登園するはずの園児が不在の場合の保護者への連絡」の4点すべてを怠っていたとして「安全管理ができていなかった」と謝罪しています。基本動作というところに問題があったということでしょうか?

そうですね。加えて、職員の「正常性のバイアス」もありました。おかしなことが起こっても「正常の範囲内」と捉えてしまう心の動きのことです。実は園児の不在に気づいた職員はいたんです。にもかかわらず「ただ連絡を忘れただけだろう」などと考え、見過ごしてしまった。

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これは一般論ですが、バイアス以外に、職員同士の人間関係が行動を誤らせてしまうこともあります。例えば、パートだけれども年上で、強いことを言う人がいたとします。何かを頼まれれば、正職員でも断れない。波風が立たないよう、正否は別に、みんなが大きな声に寄ってしまう。こうなってはいけません。職員一人ひとりがお互いを尊重しあう保育者集団であるべきです。

「保育現場は人手不足」と言われています。保育施設で問題が生じると、背景としてしばしばこうした点が指摘されます。ただ、今回の園に関して言えば、人手が足りないということはありませんでした。むしろ職員が多くて仕事がうまく回らないというケースが散見されたぐらいです。

職員は足りていた。にもかかわらず、事件は起きてしまった。正常性のバイアスに捉われた職員もいましたが、園全体で見た場合、やはり安全に関する職員間の申し合わせや連携体制が決定的に足りていなかったのだと思います。

3. バスの安全装置の設置義務化・ICTの導入と活用

牧之原市の事件を踏まえ、国は2023年4月から全国の保育園などの送迎バス4万4千台に、置き去りを防ぐ安全装置の設置を義務付けました。これは点呼に加え、運転手らに車内の確認を促し、センサーでも置き去りの子どもがいないかを確かめるものです。その安全装置と合わせ、バスからの子どもの乗車・降車を職員や保護者で確認・共有できるような、ICT(情報通信技術)も活用した再発防止策もありますが、どれほど効果があるでしょうか?

安全装置の義務化については、一つの進歩で評価できます。福岡県でも2021年7月、同様の事件が起きました。この時には大きな動きがありませんでした。運転手や同乗者には、責任をもって子どもを園や保護者に受け渡す意識が不可欠です。装置はこれを助けるものだと思います。

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保育現場全体で見た場合、確かにICTの導入が役立つことはあるでしょう。例えば、慌ただしい朝の登園時間。保護者から電話で欠席の連絡があると、職員は対応に時間を取られてしまいます。実際に「受付にICTを導入して助かった」という話を耳にしたことがあります。

ただ、ICTは万能ではありません。今回の事件があった園も、登園管理システムを採用していました。にもかかわらず、誰も置き去りに気づかなかったのです。職員がまとめて登録したため、システム上は登園していなかった女児も「登園」とされていました。ICTを使わなくても、子どもがいるかいないか確認するのは簡単なんです。ロッカーのカバンを見れば一目瞭然。でもこの園では、職員がICTを信じてしまい、目で確認しませんでした。ICTが現場の負担を軽くすることはあり得ます。でもICTに「任せて」しまっては駄目なのです。

保育現場におけるICTについては別の課題も感じています。開発者には保育に関わっていない人もいるでしょう。保育者は「新しい技術だから取り入れよう」と安易に決めず、専門性や現場の課題を踏まえ、何を導入すべきか取捨選択しなければなりません。また、保育者側から開発者に対し、「現場で使うにはこういう仕様が望ましい」「この機能は必要ない」などと提案していくことも大切です。 

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