これまでの活動
社会的養護を語り合う――ぴあミーティングを開きました。
児童養護施設・里親家庭等進学応援金を受けている学生(応援生)が集う「ぴあミーティング」を、3月28日にオンラインで開き、新1年生17人全員、卒業生5人を含めた計52人が参加しました。
4月から大学や短大、専門学校に進学する応援生の新しい仲間を迎え交流するとともに、これからの社会的養護やアフターケアのあり方について、現場で関わっている専門家の話を聞いたり、応援生同士で意見交換をしたりして考えました。
また、社会的養護で暮らしている子どもたちに向けた「ぴあ活動」* に取り組んでいるメンバーが、具体的にどんなことをしているのか、やりがいや楽しさ、活動にかける思いを熱くアピールし、「一緒にやっていこう」と呼びかけました。
応援生から「社会的養護」へのメッセージ
- 生活環境
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- 児童養護施設では、性別の違う兄弟は生活の場が分けられてしまうことがある。兄弟の関係を大切にしてほしい。
- 大人の事情で生活がくるくる代わる。負担を最小限にしてほしい。
- たくさんの子がいる中でファミリー化(生活グループの小規模化)すると、施設に入れない子が増えるのでは。働く人も足りない。里親を増やすのは虐待が心配。
- 施設はにぎやかな暮らしだった。自分は思ったことを言えたけど、途中で入った子は飲み込んだり陰で泣いていたりしていた。小規模化は必要。
- 自分の施設では職員10人に子ども30人。いろんな考えの職員がいて対応の仕方が違い困る。
- 学校・地域
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- 虐待を学校で訴えたら、先生が家族に連絡してしまった。学校の理解が少ない。学校と施設の連携を強くしてほしい。
- 社会的養護は周りから特別扱いされている。一般の人に知ってもらいたい。
- 暮らし
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- 高校生には携帯電話は必要。SNSの使用についても理解して欲しい。
- 親と連絡をとりたくない子どももいる。施設が親に近づけようとするのがしんどかった。
- 意見
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- 権利や頼れる機関があることをよく知らなかった。子どもたちに伝えていくことが大事。
- 意見を言いやすい環境づくりを徹底してほしい。
- 進学・自立
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- 今は支援がしっかりしていて大学まで行ける。感謝でいっぱい。
- 奨学金の一部は、まだ申請に親権者のサインを要求される。不要にして欲しい。
- 奨学金は制度が増えてきたけれど、生活費が足りず、厳しい。
- アパート契約や就職の保証人の問題を解決していけたらいいと思う。
- 大学の関係者でも社会的養護のことを分かっていないので、手続きなどが大変。どこに相談すればいいか分からない。
- 就職してからが一番不安。支援が少し欲しい。
- 施設を出た後の"拠り所作り"として、定期的に食事の場を設けるのが効果的では。相談事が深刻であればあるほど食事を疎かにしている可能性が高いと思う。
- 施設にいるうちにお金のことを学んでおきたかった。出たときに相談できる場所があると嬉しい。
- これからの社会的養護
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- 子ども達が自分に向き合い、受け入れることができる環境を整えてあげることが必要だとわかった。
- これから進もうとしている「社会的養護」は、現状から見ると理想が高すぎる。
(2022年3月28日 ぴあミーティングでの応援生の声(一部))
ぴあミーティング詳報
相談員に聞いてみよう!
最初に、応援生のためのLINE相談窓口を担当している蛯沢光さんと水野梨沙さんによる、プログラムがありました。2人はともに児童養護施設で暮らした経験があり、現在はNPO法人「なごやかサポートみらい」で、社会的養護のもとを離れた若者たちを支える活動などをしています。
まず「自分を漢字一文字で表すと」をお題に簡単に自己紹介。「穏」(自分より人の話を聞くのが好き)、「甘」(自分にも他人にも甘い)、「猫」(来世は猫になりたい)など、その人らしさが伝わる自己紹介に、場の雰囲気がなごみました。その後数人のグループに分かれ、新しい環境に入っていく1年生の学生生活について質問を考えてもらい、蛯沢さんと水野さんが答えました。
「大学に入ってからの人間関係が不安」という質問には、「何で自分が不安なのか、細かく考えること。漠然としていると不安になる。自分自身と話すとしんどいことも、人に話すと大したことがなくなる」。
「人間関係をどう作っていったらいい?」には「新入生にはオリエンテーションなど、話す機会がある。サークルなどもやってみたらいいのでは。アルバイト先も意外とつながる」。
「ボランティアやいろいろな活動をしてみたいが、時間があるのか」「社会人になってから、大学のうちにやっておいてよかったことは」「断捨離ができない」「大事な書類の管理方法」「一人暮らしで怖かったこと」等々、聞きたいことが多く出てきました。
蛯沢さんは最後に「これからも一緒に話せる機会を作っていきたい。こんなこと言ったら変じゃないかとか思っても、聞いてダメなことはないので、遠慮なく相談して」と呼びかけました。
塩尻真由美さん
「社会的養護で育つということ~家族を持ち、親になった今、感じること」
続いて、とちぎユースアフターケア事業協同組合職員の塩尻真由美さんが、自分の生い立ちをたどりながら、就職、結婚、出産、子育てを経験する中で感じた気持ちや気づき、考え方の変化を飾らない言葉で話しました。
塩尻さんは、3歳で母親と別れ、18歳まで児童養護施設で育ちました。高校卒業後の就職先として、寮付きのバスガイドを選択。転職で寮を出なければならなくなった時は、施設に相談し助けてもらったそうです。
結婚式の準備をきっかけに、施設出身ということは隠すことでも恥でもなんでもないことにあらためて気づきます。親族は姉妹と弟だけ。出席をお願いする施設の職員さんの肩書に悩みました。「親族でもいいよ」と職員さんは言ってくれましたが、「そもそも私は何か悪いことをしたのか」「うそをついてまで結婚したいの?」と思い至ります。同僚にもスピークアウトしました。偏見や誤解をなくしたい、当事者たちとつながって支え合っていきたいという気持ちがこの時に芽生えました。
6年半つきあった現在の夫からプロポーズをうけたものの、家族というものを知らない自分が家庭を築けるのか自信が持てず、ためらいがあったといい、欲しかった子どももいざ授かったら「親のモデルがない私が親になれるのか」「本当にこの子を愛せるのか」「ちゃんと育てられるのか」と、不安でいっぱいに。しかし出産後、地域の子育てサロンで知り合ったママたちは転勤族で実家を頼れない人も多く、施設も家庭も子育ての悩みは一緒だと気づきました。
その後双子も出産。育児は大変だけれども、それまで感じていた「私はどこでだれから生まれたの?」という不安定さから、「この子たちの親」という根っこが生え、夫とも「家族」になれ、想像上の憧れでしかなかった「家族」がつくれたと語ります。
親になったことで、これまで関わってくれた人たちのことを、違う目で見られるようにもなりました。退職後も寄り添ってくれ、自分ごとのように喜んでくれる施設の先生。子育てのプロでもあり、育児の心強いサポーターになってくれている。親だったらいいなと思える人も周囲にはたくさんいました。自身の親に対しても「母は私たちを育てられなかったけれど、社会的養護に託すことで守ってくれたのかもしれない。そうせざるを得なくなった気持ちも分かる」と思えるように。
最後に「親にべったりの自分の子どもを見ていると、皆さんも私も、幼いころからいろんなことを乗り越えて頑張ってきたなと思います。そんな皆さんのことを、ちゃんと食べているか、しんどい思いをしていないかと心配でたまらない人がたくさんいて、困ったときに動けるよう準備しています」「子どもがいつかほしいと思う人は、自分の仕事や夢をかなえてから考えてください。子どもがやりたい事ができなくなった言い訳にならないように。今をめいっぱい楽しんで」と、応援生たちにエールを贈りました。
- 塩尻さんの話を聞いて~応援生から~
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- 親からの愛を受けられずに育っても、自分と子どもを幸せにできるという事に少し心が救われました。
- 社会人になったあとのビジョンがありませんでしたが、様々な問題を乗り越えていかないといけないことがわかりました。
- 親が「私を守るために施設に入れてくれたのかな」という講師の言葉が印象に残っています。母親との関係を見直す良いきっかけになりそうです。
- 家庭を持つ前に自分の時間を大切にして、やりたいことに精一杯取り組むことをこれからの生活で意識していきたいと感じました。
- 結婚してからの生活は今の自分では想像もできませんが、社会的養護で育っていても、普通の家庭で育った方と大して差はないと聞き、安心したとともに、私もいつか家庭を持ちたいなと感じました。
- 家庭を持ち、出産などを経験された方の話を聞けてとても勇気を貰えたし、自分がいざ出産という状況になった時もそんなに身構えなくても大丈夫なんだなと思い心強かった。
応援生と考える-これからの子ども支援
午後は社会的養護の現状をめぐる2人の講師の話を選んで聞き、その後のグループディスカッションで、自分の体験を講演内容と結びつけて感じたことや、これからの社会的養護に望むことについて意見交換し学びを深めました。
施設の大小や里親家庭など育った環境により、同じ話題でも見方や考え方が違うことに驚いたり感心したり。また同年代の社会的養護経験者と出会ったことのない応援生も多く、同じ境遇ならではの「あるある」や悩み、不安を、共感とともに語り合うことができた貴重な時間にもなりました。
相澤仁さん「これからの児童養護施設・里親」
児童自立支援施設・国立武蔵野学院の元院長で、大分大学教授の相澤仁さんは、2016(平成28)年に成立した「改正児童福祉法(児童福祉法等の一部を改正する法律)」の2つのポイントを挙げ、最近の子どもの権利擁護の推進の動きについて解説しました。
ポイントの一つは、理念としての子どもの権利保障を明確に規定したことです。2019(令和元)年6月には、児童虐待防止対策の強化を図るためのさらなる改正が成立しました。施行後2年以内に子どもの意見を聞く仕組みの確保に必要な措置をとると付則に記され、これを受け厚生労働省は権利擁護を検討するワーキングチームを設置。相澤さんら専門家に加え社会的養護の経験者も入り議論を続け、21(令和3)年5月にとりまとめを出しました。現在、これらの議論をもとにした改正法案が国会に提出されています。
権利保障をすすめるためには、子ども自身が意見を表明し、その意見が尊重されることが必要という前提に立ち、一時保護された時や措置が決まったときなどの節目には必ず意見を聴かれること、児童相談所や養育環境への意見表明を支援してくれる第三者の大人(アドボケイトさん)の制度を整えていくこと、社会的養護の諸制度に対しても子どもの意見を反映する仕組みを整えることが盛り込まれています。都道府県には支援体制をつくる努力義務が課されるという内容です。
「これからはいろいろな場面で意見を聞かれますよ、一人で難しい場合は、支援する人がつきますよということです」
二つ目のポイントは、家庭養育優先の原則です。子どもの養育をできる限り良好な「家庭的環境」で行うことが求められています。養育に困難が生じた場合、最初に考えるべきは保護者を支援し家庭の維持をはかること。難しい場合は家庭同様の環境を整えた里親・ファミリーホームへの委託、それもかなわなければ小規模で良好な環境を整えた施設、規模の大きい施設は最後の手段と位置づけられたと説明しました。
そして改正法の原則を実現させるための指針「新しい社会的養育ビジョン」(2018年)で示されている、「一緒に施設に入所するなど親子を分離しないケアの充実」「在宅と施設・里親委託の間にショートステイを挟み少しずつ移行するための仕組み」「家庭に近い環境を提供するための各種の代替養育」といった具体的な支援メニューを取り上げ、これからの施設や里親家庭、親子支援のあり方がどのように変わっていくのかを細かく見ていき、課題になっていることとして、養育する人のリクルートや確保などを挙げました。
福田雅章さん「退所前後の支援の今とこれから」
栃木県で児童養護施設、児童家庭センターなどを運営している社会福祉法人養徳園に1992年から勤務している総合施設長・福田雅章さんが、園で家庭に頼れない子どもたちの自立のプロセスに長年伴走してきた経験から、時代による支援の変遷、これから求められることを話しました。
4年前に60周年を迎えた養徳園の卒業生は約650人。開園したころのOBOGは70歳を超えているはずですが消息は分からず、60代で数人と連絡がつく程度といいます。
自身は3歳で母を亡くし5歳で同園に入所、父の再婚を機に小学校3年生で家庭に戻りました。経済的に苦しい家庭でしたが「(戻って)いちばんよかったのは大学へ行けたこと」。1970年代、施設にいた同世代はどんなに優秀でも働きながら定時制高校に行くのが精いっぱいでした。福田さんは進学校から国立大へ合格。入学後は自活のため新聞奨学生として住み込みで働きました。休みは年6日、時間の拘束も厳しい職場で、同級生のように大学生活を謳歌(おうか)することができずとても辛かったと振り返ります。
2003(平成15)年、大学進学を希望する園生が初めて現れました。初年度納入金は130万円あまり。周囲に呼びかけ一部を集めました。当時は社会的養護を対象にした奨学金は少なく、年間50万円給付の奨学金をもらえたものの、それでも足りず大学にお願いして授業料を半額にしてもらい、生活費はアルバイトと日本学生支援機構の奨学金で賄いました。施設では翌年に大学進学基金を創設しました。
2011(平成23)年に入学した園生の時は、日本学生支援機構の奨学金を借りるのに、親の同意が得らないことを理由に門前払いされました。虐待で関係が断絶しているのにおかしいと新聞に投書。他紙も取り上げ、国会議員も動きました。投書が掲載されたのは5月5日で、同30日には児童養護施設長の代行を認める規定変更が発表されました。「あきらめずに活動すると、何らかの変化が出てくる」
奨学金を受けるのは狭き門で、福祉の道に進むなど「恩返し」のストーリーが世間的に受けがいい。まだそんな時代でした。
現在は国の給付に加えさまざまな民間の奨学金も用意され、高校卒業後の進学をあきらめることはなくなり、むしろ施設にいた方が有利といいます。ところが制度が充実すればするほど、今度は子ども自身の「足りない部分」が浮かび上がる結果になりました。周囲とうまく付き合えなかったり、先のことが想像できなかったり。制度だけでは解決できない問題で挫折する子も多く見てきました。
「足りない」部分を埋めるために大事なのは、子どもが自身の辛かった過去を「だからうまく生きられないのは仕方ない」ではなく「乗り越えたから今がある」とプラスに捉え、希望ある未来へのストーリーが描けるようになること。加えて家族のような「恒久的な拠り所」が絶対に必要と福田さん。
20歳ごろから連絡がとれなくなり、50歳近くになって訪ねてきた元園生がいて、その最も辛かったであろう時に寄り添えず後悔したというエピソードを紹介しながら、家族にはなれないまでも「施設は子どもとつながり続ける覚悟が必要」と強調しました。