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高次脳機能障害講演会「当事者が伝えたいこと」が開催されました

11月16日、豊橋市・あいトピアで、「高次脳機能障害のある当事者が伝えたいこと」(高次脳機能障害者支援「笑い太鼓」、朝日新聞厚生文化事業団主催、日本脳外傷友の会後援)を開催。150人が参加しました。

高次脳機能障害の当事者は、受傷、発症前の経験もその後の後遺症もさまざまです。障害に対する一般の理解が進んだとはいえ、まだまだ家族や友人、学校、職場など、人とのかかわりの中で、当事者がどのように悩み、感じているのかを十分理解できていないのが実情です。そうした中、当事者が話す言葉に耳を傾け、周りの人たちが当事者をどのように理解し手を差しのべればよいのかを考えるのがこの講演会のねらいです。

まず、国立成育医療研究センター・発達評価センター長の橋本圭司さんは、「姿勢を正して、深呼吸をすることと、運動が大事」と語り、障害の基本的な理解、対応の仕方を説明しました。その後、橋本さんは、脳血管障害による脳出血で高次脳機能障害と身体障害のある川内美紀さんと、交通事故に遭い、高次脳機能障害のある大西あずささんと対談。「事故前、あるいは病気により発症前と、その後ではどのように変わったのか」という質問に対し、川内さんは「人の顔が覚えられなくなった。複雑な事務処理ができなくなった。今は金融機関で、顧客のアンケートの入力をパートで行っている」とのこと。障害者職業センターに通う大西さんは、「作業中に話しかけられると、何をしていたのか忘れてしまう」とのこと。二人は発症後、人とのかかわりが難しくなったと一様に答えました。

一方で、川内さんはテニスを、大西さんはぬいぐるみの服を縫うなどの趣味をもち、前向きに生きる二人に、橋本さんは「もっと周囲にこうしてくれたら仕事がしやすいとか、生活がしやすいということを伝えることが大切」とアドバイスをしました。

休憩後、石井夫妻が登壇し、雅史さんは当事者として、智子さんは家族としてそれぞれの思いを語った後、橋本さんが再登場、てい談に移りました。

雅史さんは、競輪選手時代にトレーニング中の交通事故で高次脳機能障害の当事者になり、その後遺症で言語障害や記憶障害を負い、競輪選手を断念します。その後障害者自転車競技に転向し、2008年の北京パラリンピックに出場し金メダルを獲得、12年のロンドンパラリンピックにも出場するなど、めざましい活躍をし続けています。

まず雅史さんは、01年高次脳機能障害になった当時を主治医でもある橋本さんに促されて説明。「あなたは二度の事故を起こしましたね」と橋本さん。雅史さんは北京パラリンピックの翌年のイタリアでの世界選手権で2度目の事故を起こしています。その時、雅史さんは上半身数カ所の骨折、肺損傷を負いました。橋本さんは「身体障害と高次脳機能障害を持ちながら、ロンドンパラリンピックで6位になったことは、北京で金メダルを取った時以上に価値がある」と評価しています。

雅史さんによると、英国はパラリンピックの発祥の地で、障害者競技に対する世間の関心は高く、障害のあるアスリートを「スーパーヒューマン」と呼んでいるとのこと。「自分がケガをしたことは一般的にはマイナスように見えるが、今日まで自分が支えられ生かされてきたと感じ、周囲の人たちに感謝している」と話す雅史さん。橋本さんは「人は絶望の淵に立たされた時、『感謝』か『絶望』かのどちらかを選択するが、石井夫妻は?」と話題を智子さんに向けると、「夫の事故で絶望と混乱はあったが、自分に仕事があることで、気持ちの切り替えができた。精神的に行き詰まった時に橋本先生に出会い、雅史さんが子守りをして智子さんが働きに出てみたらというアドバイスが、閉塞感のあった私にとってすべての突破口でした」と当時のことをふり返ると、雅史さんも「妻に笑顔が戻ったことで、家族としての幸福を感じた」と笑顔で応じました。