これまでの活動
「ハンセン病療養所ビジット」(第1回)
1996年に「らい予防法」が廃止されてから、今年で30年を迎えます。ハンセン病(*)は「らい菌」に感染することで起こる病気で、かつては「らい病」と呼ばれていました。感染力は極めて弱いものの、1907年(明治40年)の法律制定から廃止されるまで、国による強制隔離政策が続けられていました。
戦後、ハンセン病は特効薬が普及して治る病気になりましたが、現在も回復者(療養所の入所者)の皆さんには後遺症による障がいや高齢化の影響で、外出が難しい状況が続いています。
*1873年(明治6年)に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとって、現在は「ハンセン病」と呼ばれています。(厚生労働省ホームページより)
そこで朝日新聞厚生文化事業団は、全国13カ所にあるハンセン病の療養所を訪問する取り組みをはじめました。ご協力いただくのは浪曲師の奈々福さんと曲師(三味線)の広沢美舟さんです。落語や講談とともに「日本三大話芸」の一つといわれる〝浪曲〟は浪花節とも呼ばれ、80代以上の高齢の方には馴染みが深く、今でも人気があります。
国立駿河療養所を浪曲師・奈々福さんと曲師・美舟さんが訪問
今回は7月10日に「国立駿河療養所」(静岡県御殿場市)を訪れました。現在療養所には74歳から99歳の方が暮らしています。療養所の平均年齢は87歳です。開演前に入所されている3人の方から次のような期待の声が寄せられました。
- 「浪曲はね、若い頃にラジオで聴いたことがあります。最近は聞く機会はなかったな」自治会長の男性(84)
- 「浪曲は好きだね。清水の次郎長さんと、浪曲師で覚えているのは〝お客様は神様です〟と言っていた三波春夫、あと村田英雄かな。今日は楽しみだよ」(90代男性)
- 「小さな頃、父がラジオでよく浪曲を聞いていました。その頃はよくわからなかったですが、最近ようやく浪曲を楽しいと思うようになりました。この中(療養所)にいると生で聞くことは難しいので今日は楽しみにしていました」(80代男性)
時間になると、広い所内から入所者、職員、約60人が会場に集まり、2人の登場を大きな拍手で迎えました。はじめに、奈々福さんが「待ってました!」「日本一!」といったかけ声の練習を行い、会場をあたためます。披露された演目は、ダメな夫を妻がたたき直す「仙台の鬼夫婦」。人間の愚かさや弱さ、それを包み込む温かい義理人情の世界などを描く浪曲は、入所者の心に深く響いた様子でした。
終演後、再び感想をうかがうと「今日は時代劇を観ているみたいで、とても楽しかったです。また来てください。楽しみに待っています」「面白かったよ」「楽しかったね」と話してくださいました。
職員からはその後、「会場で撮影した記念写真を掲示し、お二人の色紙も飾らせていただきました。しばらくは入所者の間で『懐かしく感じながら楽しんだ』『迫力があった』『初めて観た』『普段なかなか観ることができない浪曲を生で聴くことができて良かった』など、浪曲の話題が続きました。それぞれに余韻を楽しまれていらっしゃいました」と後日談が寄せられました。
口演が終わった後、奈々福さんと美舟さんは敷地内の納骨堂と駿河神社を訪れ、学芸員の杉山富貴子さんからお話しをうかがい、手を合わせました。
次回は東京都東村山市にある多磨全生園を訪問する予定です。
~学芸員の杉山富貴子さんのお話~
〝名前に込められた歴史〟
偏見や差別、家族への考慮から、多くの方が園内専用の園名で暮らしていました。本名へ戻した方もいらっしゃいますが、現在も園名のまま眠っているケースが多くあります。
「(一般的な骨壺より小ぶりな骨壺に)何か意味はあるのですか」と奈々福さんが質問すると、「納骨堂に収められるご遺骨はすべて分骨されています。実家と分骨している方、数十年を経て遺骨が引き取られたケースがある一方、『実家で暮らした期間より仲間と過ごした時間の方が長かった』として、仲間と共に納骨堂で眠ることを自ら選んだ方もいらっしゃいます」
〝胎児標本について〟
国家賠償訴訟後の全国調査で114体の胎児標本が発見され、うち駿河療養所では10体が見つかりました。カルテから全員の母親が判明し、ご存命の親には希望を聞いて名前をつけ、すでに亡くなっている場合は母親の名前から1字もらうなどして命名しました。平成19年(2007年)には慰霊祭が行われ、現在はその多くが納骨堂に収められています。
〝敷地内にある建物の歴史的特徴〟
療養所は東京ドーム約8個分の広さがあります。 敷地内には、伊勢神宮の式年遷宮の際の摂社が原形のまま移築された全国唯一の「駿河神社」があります。
また、一度も使われていない火葬場があります。所内で火葬を行わずにずっと所外で火葬を行っていましたので、火葬場は不要でしたが、入所者の反対を押し切り「国の予定建築物だ」として建設されました。「一度も使わない」という約束のもと建てられた、全国でも珍しい、不思議な火葬場が残っています。
〝入所者の教育とレクリエーション〟
駿河療養所はハンセン病傷痍軍人のための療養所として設立しました。その後、一般の患者の受け入れがはじまり、その中には子どもの入所者もいました。病気のため、親から引き離されてきた子どもたちのために入所者が教師となり寺子屋方式の学校が始まります。後に神山小学校の分校として認可されました。
所内で初めての映画上映は炊事棟の一角に白布でスクリーンを張り上映されました。最初に作られた講堂は1階が入所者、2階は職員というように同じフロアで観ることはなかったそうです。職員だけが入れるように2階に入口を設けるなど入口も入所者と職員が分かれていたそうです。また講堂では入所者による劇団・楽団の公演、外部からの慰問公演なども行われました。
〝桜(シダレザクラ)に込められた願い〟
国家賠償訴訟後、入所者自身の手で千本を目指して植樹が始まりました。所内の桜は現在521本で隠れた桜の名所となっています。 これらの桜には、「自分たちが一人もいなくなった後も、この桜を見に来て納骨堂で手を合わせてほしい」「自分たちを忘れないでほしい」という切実な思いが込められています。現在は桜の時期に合わせて一般公開が行われています。
当事業団では「ハンセン病療養所ビジット」の寄付を募っています。
この浪曲を届けるプロジェクトに、ぜひ皆さまのあたたかいご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。