これまでの活動
「里親制度説明会」(栃木フォスタリングセンター主催)で、応援メンバーがお話をさせていただきました
里親家庭で育った「当事者」として
2025年7月26日(土)、栃木県総合文化センターにて、栃木フォスタリングセンター主催の「里親制度説明会」が開催されました。この説明会は、さまざまな事情により実の家庭で暮らせない子どもたちを温かい愛情と正しい理解を持って自らの家庭で養育する「里親」と「里親制度」について理解を深めてもらうためのものです。
当日は、当日は制度の詳しい説明に加え、養育中の里親や里親家庭で暮らした「当事者」による体験談も紹介されました。ぴあ応援団からは2名の若者が登壇し、自身の経験を語りました。

多様な里親のかたちと、それぞれの思い
説明会では、養育里親(栃木県では「とちのきフォスター」の愛称で呼ばれています)、養子縁組里親、ショートステイなど、さまざまな形態の里親制度が紹介されました。また、実際に里親として子どもたちと暮らす方々からは、一緒に過ごす中での思いやエピソードが語られました。
続いて、ぴあ応援団の二人が、里親家庭で育った自身の体験を話しました。
温かい“家”との出会い ─ Tさんの語り
群馬県在住のTさん(20歳、社会福祉を学ぶ大学3年生)は、未熟児として生まれ、小学3年生まで施設で暮らしていました。その後、最初の里親家庭に引き取られます。野球を通して「一人じゃない」と感じる一方で、里親さんとの関係がうまくいかず、8年後に児童相談所に相談し一時保護所で暮らすことになりました。
その後の新しい里親との出会いは、Tさんにとって大きな転機でした。出会ってすぐファーストフード店に一緒に行き「好きなだけハンバーガーを食べていいよ」と言われ、3個食べた日のことを「自分にとっては考えられないくらいのごちそうで、今でも忘れられない大切な思い出」と語ります。部活動や進学を応援してくれたこと、石垣島の海に感動したことなど、多くの体験が心に刻まれています。
Tさんは、「大切な人と、思い出に残ることをできたのが、自分にとってすごく大きかった」と語り、戸籍が同じかどうかは関係なく、里親は「親同然の存在」だったと強調しました。親子のような関係性は、自身の「大きな支え」になったと話しました。
自由と安心を見つけた場所 ─ Mさんの語り
東京都在住のMさん(20歳、法律と政治を学ぶ大学3年生)は、3歳で父親を亡くし、母親からの虐待を受けながら育ちました。フライパンが飛んできたり、熱湯をかけられたり、冬に外に出されたりする日々。中学生の頃、酔った母親に首を絞められ、「このままでは殺される」と感じて警察に駆け込んだといいます。
その後、一時保護所を経て児童養護施設に入所しますが、当時のその施設では、スマホやパソコンは使えず、窓には鉄格子がはめられた閉鎖的な環境。自殺未遂を繰り返すうちに施設にいられなくなり、精神科病院へ入院。「どこにも居場所がない」状態でした。
そんなMさんの転機となったのが、専門里親との出会いでした。高校1年生から新たな里親家庭で暮らし始め、「施設とは違い、そこには“自由”があった」と語ります。里親は彼女の思いに耳を傾け、高卒認定の取得など、やりたいことをサポートしてくれました。
Mさんは、「里親家庭に行けて良かった。帰る場所ができて、私にとって“家”と言える場所になった」と述べました。「親と呼べる人がいる。それが自分にとってどれほど大切だったか」と振り返ります。旅行や外食といった日常の一つひとつも、彼女にとってはかけがえのない経験となりました。
「経験」と「受け入れ」が未来を拓く
二人の語りからは、里親家庭が子どもにとって「安心できる居場所」と「豊かな経験」をもたらすことの大切さが伝わってきました。
Mさんは、「子どもたちに、いろんな経験をさせてあげてほしい。料理でも、散歩でもいい。そうした経験が、将来きっと力になる」と訴えました。また、「里親家庭で暮らして後悔している人は、自分の周りにはいない」と話し、過去に「試し行動」で里親を困らせてしまったことを悔やむ子どもが多いことにも触れつつ、「どんな子どもも、受け止めてもらえるような家庭が必要だと思う」と、これから里親を考える人たちへのメッセージを送りました。
社会全体で、家庭のぬくもりを支えるために
「同じ経験をしたからこそ、できることがある」。社会的養護を経験した若者たちは、その経験を未来の子どもたちのために活かそうとしています。
今後とも、ぴあ応援団の活動にご関心をお寄せいただけましたら幸いです。
最後に、このような貴重な機会をくださった栃木フォスタリングセンターの皆さまに、心より感謝申し上げます。
*朝日新聞厚生文化事業団は、ぴあ応援団の活動をサポートしています。