~支え合う安心社会の実現に向けて~
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朝日新聞厚生文化事業団トップページ 最新のお知らせ 経験を力に、未来を拓く 児童養護施設職員さんの研究会で体験を話しました

これまでの活動

経験を力に、未来を拓く
児童養護施設職員さんの研究会で体験を話しました

児童養護施設や里親家庭などで暮らし、後輩たちやこれからの社会的養護に役立ちたいと、約60人の学生、若者たちが様々な活動を行っています。
ここでは、2025年6月22日に開催された児童養護施設関係者らが集う全国児童養護問題研究会(養問研)で行われた「社会的養護経験者と若者支援団体と語る青年期の支援」をテーマにした分科会で、応援団のTさん(大学3年生)、Yさん(大学2年生)が語った内容をご紹介します。

この分科会には、若者支援の実践活動家であるACHAプロジェクト代表山本正子さん、NPO法人「第3の家族」の理事長奥村春香さん、ぴあ応援団のTさん、Yさんが登壇し、約20人の児童養護施設職員や研究者、学生などが参加しました。
まず養問研副会長の早川悟司さんによる開会の挨拶と登壇者の紹介から始まりました。

プログラムは二部制で、前半ではそれぞれ自己紹介とこれまでの活動、体験談を発表しました。その後、会場からの質問に答える形で、意見交換が行われました。

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Tさんの自己紹介と体験話

Tさんは、まず自身の社会的養護の経歴について語りました。生まれたときから乳児院で生活し、その後児童養護施設へ。小学校3年生頃から約8年間、最初の里親家庭で暮らしました。里親家庭では、野球部継続の希望を否定され、教育熱心ではあったものの塾に通わせてもらえず、大学進学も経済的な理由で「無理だよ」と言われたと経験を話しました。その後関係がうまくいかず、里親家庭を離れて一時保護所での生活を経験しました。一時保護所では、2ヶ月半の間、外部との接触が遮断され、学校にも行けず勉強が遅れるなど、自由のない生活だったと述べています。

2人目となる里親さんは、大学進学を応援してくれたため、急遽進路を変更し、福祉を学ぶ大学へ進学できました。彼は自身の経験を通して、「程よく寄り添う」支援の重要性を強調し、自分の考えが否定されることは「存在すら否定された」ように感じたと述べています。また、石垣島で海を見て感動し涙したエピソードを挙げ、子どもたちに様々な経験をさせてあげることの重要性を訴えました。

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Yさんの自己紹介と体験話

Yさんは、福岡県の大学で社会福祉を専攻する2年生です。児童養護施設の職員に憧れ、福祉を学びたいと思ったと語りました。

自身の経歴として、小学校3年生の8歳から2年間、児童養護施設で生活した経験があります。当時の母親は子どもたちの面倒を見きれない状況で、「若干のネグレクトがあった」と振り返っています。ある時、祖父母らとご飯を食べに行った後、そのまま児童養護施設へ連れて行かれ、唐突に入所となりました。妹や弟たちが「なんでお母さん(迎えに)来ないの?」と寂しがっていた様子を話しました。2年後に母親がお金を貯めて家に戻ることができましたが、その後も母親が子どもたちの世話をしきれなかったため、小学校6年生頃から中学校3年生になるまで、ヤングケアラーとして家事や弟たちの送迎をこなし、不登校の状態が続きました。

中学校3年生の頃、高校進学のための費用がないことなどを先生に相談すると、先生が児童相談所と繋がり、Yさんと当時3歳の一番下の弟の2人が、児童養護施設へ入所することになりました。彼女は自身の入所に安堵したものの、真ん中の3人の兄弟を自宅に残してきたことを強く後悔し、こっそりと自宅に戻りご飯を作って帰る、といった行動をしていたと明かしました。その後、母親が再婚したことで、残りの3人の兄弟も全員施設に入ることができ、ようやく安堵できたと語りました。彼女は、辛い時期に支え、相談に乗ってくれた児童養護施設の職員や中学校の先生に心から感謝しており、「寄り添ってくれる人がいることで、すごく励まされた」、自身もそのような大人になりたいと語っています。

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質疑応答から~お母さんとのエピソード

Tさんは、家族について尋ねられた際、自身の生みの親であるお母さんとのエピソードを詳しく語りました。彼はこれまで一度も顔を合わせたことがなかった母親に、今年5月の母の日に、障害者施設で初めて会ったと明かしました。18〜19年ぶりの対面でしたが、母親はTさんの顔を見た瞬間に、「Tだ」と声をかけてくれたといいます。Tさんはこの時、思わず涙を流し、「理由もなく嬉しい」という感情が込み上げてきたと語りました。

母親は「ご飯食べてるの?」と彼の健康を気遣い、さらには「Tはうどんが好きだからね」と、知るはずのないTさんの好きな食べ物について話したことに驚きと喜びを感じたそうです。彼はこれを「味の好みは遺伝するのかな」と冗談めかして語りました。母親からは「彼女ができたら報告してね」という言葉もあり、その後、一年に一回程度、会う関係になったそうです。Tさんは、この母親との再会ができたのは里親さんや施設の職員、そして母親自身が元気でいてくれたおかげだと感謝の気持ちを述べ、「このような愛情深い親になりたい」と抱負を語りました。

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質疑応答から~安心して巣立ち、歩むために

Yさんは、施設退所後のアフターケアについての質問に対し、高校3年生の時に奨学金の話がきっかけで、初めてアフターケアの制度を知ったと語りました。彼女がいた児童養護施設にはアフターケア専門の職員がおり、その方が一人ひとりの子どもたちに寄り添って、個別に関係を築いてくれたといいます。特にYさんの場合、奨学金申請から一人暮らしのことまで、アフターケア職員が全て担当してくれたため、とても手厚い支援を受けられたと感じています。一方で、学習に遅れがあったために、「入試勉強が本当に大変でした」とその苦労を話しました。

高校を卒業した後も、施設を「卒園」した年に、同年代の子どもたちがよく施設に遊びに来ていたため、Yさん自身も気軽に施設に帰る気持ちになれたと述べました。また、施設を辞めた職員も遊びに来てくれたり、現在の職員さんも変わらず温かく接してくれたりすることで、「いつでも遊びに来ていいよ」というメッセージを実感できたと語りました。自身の経験から、自分は施設を「円満」に退所できたタイプだったと認識し、周囲の大人たちが継続的に連絡を取り、困った時に相談に乗ってくれる環境があったことで、孤独を感じずに生活できたと強調しました。彼女は、このような「居場所がある」ことの重要性を強く感じており、多くの人に支えられている実感があることが、自身にとって大きな安心感になっていると述べました。

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彼ら彼女らの経験に学ぶ社会を

この分科会では、専門家に社会的養護を経験した二人が加わり、支援のあり方や子どもたちの心の状態について話がなされました。
終了後には、参加していた児童養護施設職員の方が二人に話しかけ「私も児童養護施設で暮らし、今は職員をしています。二人の話を聞いて、忘れかけていた職員を志したときのことを思い出しました」と感謝を述べてくれました。
大会終了後、Yさんは「自分の経験がだれかの役に立ったことを実感することができ、こういう機会をつくってもらえたことに、本当に感謝です」と話しました。

若者たちの声に耳を傾け、支え合い、子どもたち一人ひとりが安心して暮らせる社会の実現に近づくために、これからもぴあ応援団の活動を推進していきます。

結びになりますが、このような貴重な大会で、当事者としての経験談をお話する機会をいただいた全国児童養護問題研究会の皆さまに、心から感謝を申し上げます。

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*写真=ぴあ応援団の活動の様子